MASUDA YOSHIMASA

桝田工務店 創業60周年!物語、 感謝

こんばんは。

 

桝田工務店もこの2025年で創業60周年を迎えました。

私が桝田工務店に入り約30年になります。

 

先代の桝田定清は大工からスタートし

この桝田工務店を1965年に創業しました。

私は大学の建築学科を卒業後は現在では私が入社した時よりも非常に大きくなりましたが

ゼネコンの高松建設に入社し現場監督としてマンションやビルの現場管理を行いました。

 

その後桝田工務店に入社をしましたが当時は社員とはいっても私一人でした。

その頃は不動産会社の建売の下請けの施工工務店として建売を建てていましたが

本当に住む人の顔も見えないし、決まった形、決まった間取り等

物づくりと言う視点で言えば面白くなく本当に嫌な毎日でした。

 

当時建売を30~40棟年間建てていましたし、時々注文住宅やマンションを建てたりもしていました。

 

しかしながらこういった物件の設計や打ち合わせ見積もりや現場管理を一人で担当し、

更には基礎工事の鉄筋を組んだり型枠を組んだりコンクリート打設や左官工事等も自分でやっていましたし、

設備屋さんが行う埋設の設備配管も材料を買ってきて

自分で行い更にはごみの運搬や残土の運搬もダンプに乗り一人で行っていたので

朝は6時ぐらいから夜中の2~3時まで毎日働きもちろん祝日などありませんでしたので

家にも帰れず会社の床でよく寝ていました。もちろん

ゴールデンウイークやお盆などもありません。

 

私が桝田工務店に入って一番びっくりした事はある現場で3mぐらいの高さのある土が盛ってある

堺の現場での出来事ですが私の父である社長がこの土をスコップ一本で積んで残土を処分してこいと言われたことですね。

 

何でユンボなどの重機を使わないいのかと聞くと高くつくから手で掘れと言われたことは強烈な一言でした!

これにはびっくりしたのとスコップ一本でこの土本当に出せるのかと言う不安でした。

この土を出すのに10日以上かかりました。手はまめだらけ最悪です。

私が単なる社員なら辞めていたかもしれないですね。笑

 

しかしゼネコン時代は更に厳しい時代でした。

月の残業は300時間で休みは3か月なし

先輩の中には年間休日5日と言うような人までいました。

私も朝5時に家を出て帰ってくるのは夜中の2時や3時ほとんど睡眠がとれず

休みは3か月間なし!

車通勤でしか通えないのですが信号に泊まるたびに寝ていたのを記憶しています。

20代だからこそこんな暮らしに耐えられたのかもしれません。

 

こんなハードな環境の中で過していたので桝田工務店に入った時も絶えられたのだと思います。

今考えるとすごい時代だったと思いますが、そんな時代だったのだと思います。

ただ現場管理や社会人としての多くのことを短い期間で覚えられたので

感謝もしています。

 

そんな生活を一人で毎日送っていると強烈な孤独感にも襲われます。

誰かが助けてくれることはないのですべて自分でやらないといけないという使命感

と孤独感で頭がおかしくなりそうなときもありましたがそんな時、現在もお付き合いのある電気屋さんの

大久保さんの紹介で西村くんが入ってきたのです。

二人で今後の桝田工務店について夜居酒屋でお酒を飲みながら

語り合ったものです。

そして現在も現場監督として桝田工務店にいますが、当時はとにかくハードでしたから

よく私と一緒に頑張ってくれたなと思います。

本当に感謝です。

 

私が32歳の時に代表でもある父が現場の前で倒れ他界してしまいました。

あまりにも突然の事だったので悲しみと不安しかありませんでしたが、

嫌だった建売の下請け等を思い切ってすべてやめ

注文住宅一本で行くと決断し桝田工務店の注文住宅専門工務店がスタートしたのです。

桝田工務店の第2章の始まりです。

 

その当時下請けに慣れお仕事を直接いただく方法も何もわかっていなかったので

何か行動を起こさねばと言う思いで

西村くんと二人で当時ほとんど工務店では見学会と言うものはやっていませんでしたが

西成区で初めて現場見学会と言うイベントを行いました。

 

土地が13坪の3階建ての建物です。

デザインは自分なりに必死に考えました。

見学会のチラシはお金がなかったので一太郎と言うワープロで一文字づつ打ち出し

白い紙にセロテープで文字を貼り付け誘拐犯が送り付けるような手紙を

手作りで作り、両面一色刷りで6000枚を22000円で印刷会社で刷ってもらいました。

二人で仕事がいただけるようにと心で願いながら夜中の2時過ぎまでポイスティングを行い

見学会を行いましたがそれをきっかけに何組かご契約をいただき、桝田工務店の注文住宅がスタートしました。

 

一年が過ぎたころその建物がおしゃれという事で通行人の方の何人かが

飛び込みでインターホンを鳴らしどこで建てたんですか~

とその家のお施主様に聞き問い合わせがありました。

一人の方はへーベールハウスと契約をされていたのですが

解約してくれて私たちでご契約してくれたのです

 

これがきっかけとなりデザインにこだわった注文住宅を造ろうという思いから

コア建築デザイン事務所を設立したのです。

 

それから初めて女性のスタッフが入社し

現在もいる島岡さんが入社し和田さん、辻さんが入ってきましたが

この当時もなかなかハードな時代でしたが辞めずについてきてくれています

本当に感謝です。

今では多くのスタッフが桝田工務店を支えてくれています。

建築業界は以前は男性社会でしたが今は女性パワーがすごいですね。

全てのスタッフに

感謝ですね。

 

これからショールームが2月にオープンしますが

桝田工務店としての第4章とも言えるの始まりの

年になりそうです。

第3章はまたの機会にお話ししようと思います。

 

多くのお施主様に支えられ創業60周年を迎えることができました。

本当にありがとうございます。

今後も多くの方に喜んでいただける家づくりを一緒にしていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。